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歌謡曲とジャパノイズの関連に関する一考察」

「余は如何にして−1」

「余は如何にして−2」

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予告編「裸のリリーズの悲劇」

 

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ジャパノイズTOPエッセイ
美川師匠インキャパシタンツ)の 「雑音談義」

ジャパノイズ格闘技王・ンキャパ美川師匠が語るノイズ青春の咆哮彷徨?)の日々。ファン垂涎の書き下ろし連載第三弾!          

「余は如何にしてノイジシャンとなりしか」  

     その3:やさしいノイズの作り方           美川俊治                                                   

えーと、こんなもの連載する気など全くなかったのですが、「余は如何にして ノイジシャンとなりしか」なるタイトルまでつけられると、なんとなくその気 になって、大晦日という、ま、一年に一度しかないような日の朝っぱらからP Cに向かっているという自分に気がつくとなかなか厭なものですが、そうは 言っても書き始めてしまったものは仕方がないので、少しそのタイトルに即し た話をしましょう。

先日出たスタジオヴォイスの一月号で「やさしいノイズの作り方」なるいい加 減なアンケート企画に、人が良いのでつい答えてしまったのですが、そこにも 書いたとおり、即興音楽或いはフリー・ミュージックといったものに若輩の時 に触れてしまったのがきっかけなのだと思います。

心斎橋にあったメロディー・ハウスというレコード屋さんで、ギター・ソロズ2というギターによ る即興演奏のコンピレーションアルバムを、確かロックマガジンに載っていた 記事を頼りに買ってみて、聞いて、松田優作ばりに「なんじゃ、こらぁ〜」と がーんと頭を殴られるようなショックを受けたのが始まりと言えば始まりでし た。             

特に、デレク・ベイリーの印象は「わしにも出来るわい、こんなもん」 と、今にして思えば、汗顔赤面ファイヤー・フロム・マイ・フェイスといった 情けないものだった訳で、まぁ、若さとか無知とかで許されるものではないよ うな気もしますが、もしそう思わなかったら今の人生はだいぶ違うものになっ ていたんだろうなあと思うと、感慨深いものがあります。 高校生だった私は、 家にあったアコースティック・ギター(音楽の授業で少しアコースティック・ ギターを習っていたので、おじさんのお古を貰ったものですが、全く弾けませ んでした。      

ちなみに、後にアウシュビッツの林君にコードを教えてもらったこ ともありますが、Fが出来ずに挫折。「お前に教えるのは、猫にギターを教え るようなもんや」との有難いお言葉を頂戴しました。現在に至るまで全く弾け ないままです)に、NHKの夕方の番組「たのしい実験室」で紹介されていた クリスタル・イヤフォンを使ったピックアップ(と言っても分解するだけです が)を接着剤でくっつけ、そのプラグをラジカセのマイク端子に接続するとい う荒業を試みたのでした。もともと弾けないものですから少々居直り気味に何 やってもええんや、とフリスのプリペアード・ギターを真似て、弦にワニ口ク リップやら洗濯バサミをつけ、ビール瓶で弦をこする(ボトルネック奏法等と いうものがあることは全く知らなかったのですが)などして適当に、でも、ベ イリーの演奏に何がしかでも近づけようとしてそれなりに一生懸命ギターと格 闘した覚えがあります。         

当然、エフェクタ等という気の効いたものはなかった ので(というより存在を知らなかったように思います)、クリスタル・イヤ フォン・ピックアップとラジカセという組み合わせでの音のひずみが唯一の音 色効果という次第ですが、でもモーターで弾いてみたり色々と本人にしてみれ ば若気の至りでしょうが自分が「実験的」と思うことをやっては録音し、結局 三本程カセットを、「コントラディクトリー・ブリッジ(Contradictory Bridge)」 というユニット名で作成しました。今聞いても単なる雑音に過ぎ ません。                      

で、前回書いたどらっぐすとぅあに出入りするようになってから、そ れらのテープを、恥知らずにもそこでかけてもらったような覚えもあります。 その後、どこでどうしたのか誰かに貰ったはずなのですが記憶にないのです が、兎に角、ストラトタイプのエレキギターも手に入れ、全く弾けない状況に 何の変わりはないにもかかわらず、林君とのデュオ(このときのユニット名 は、「アンノン(ANNON)」)で藤井寺のバグースというスペースで人前で演 奏するという暴挙にまで至ったのでした。いくらデュオとは言え、あぁ恥ずか しい(でも、お店には迷惑だったでしょうが、殆どお客が来なかったので、そ ういう意味では、良かったと思います)。

で、もう一つのきっかけは、これは大学に入ってからではなかったかと思うの ですが、発信機なるものを作成したことです。私は小さいころからラジオ少年 で、しかも文系なのでオームの法則も良く分からないが、回路図があれば物は 作れるという人なので、初歩のラジオ(初ラ)やラジオの製作(ラ製)或いは トランジスタ技術(トラ技)とかを見ては、何か面白そうなものがあるとそれ を作るということをしていまして、ある時、テキサス・インスツルメンツ社の SN76477という、多分ゲーム用のワンチップICを使ったサウンド・ ジェネレータなるものの製作記事を発見しました。                                                      

特に目的意識があったわけ でもないのですが、面白そうやな、と単純な好奇心からそれを作って見たので すが、結構色々な音が出せるのに喜んで、文字通りおもちゃとして遊んでいた のですが、後年、広重社長に誘われて非常階段に参加した際にこれが活躍した のはご高承の通りです。  

初期の非常階段の訳分からないノイズの大半はこれが 発生源の筈です。機材のクレジットとしては、「ザ・ミカワ(THE MIKAWA)」 としていましたが、どこかに書いたか喋ったかしたとおもうのですが、そのコ ンセプト自体はシルバー・アップルズのシメオン氏が、自分の使用するオシ レータを「ザ・シメオン」と称していたことのパクリです。ただ、そこには、 世界に一つしかない楽器であってその演奏者が自分ただひとりなのであれば、 自動的に自分が世界最高の演奏者となることができるという恐れ入った考え方 に基づいたネーミングなのであったということは申し上げておきたいと思いま す。

勿論、その製作記事を見て同じものを作った人は他にも居たことでしょう が、それに「ザ・ミカワ」と名をつけた人は私の他に居ないでしょうから、そ れは敢えて言ってみれば、ラベリングによる独自性の確保ということかと思い ます、って何言ってんだかただの与太ですが。非常階段はああいうライヴ形態 ですから、初代の「ザ・ミカワ」が全く修復不可能な状態に壊れるのにそれほ ど時間はかからなかったように思います。 それで、もっとコンパクト化した二 号機を作成したのですが、これも壊れてしまい、音が出なくなってしまいまし た。数年前、再作成を意図して、秋葉中を探し回り、とっくの昔に製造中止に なっていた SN76477 を見つけて買ったのは良かったのですが、そのままで す。根性も根気も暇もない状態ではなかなか面倒な作業に手をつける気にはな れないものであることよなぁ、と一首詠みたくなるような状況ではあります が、PAIAのテルミンのキットも作ってないし。

何やら、支離滅裂な文章になりましたが、振り返って見れば、始めた当初から 人と同じことはやりたくなかった(「やりたかったかも知れないがやろうにも やれなかった」の方が正確でしょうが)というのが自分の原点であったように 思います、ハイ(田中耕一(田中浩一ではない)さん調)。

というわけで次回はいつになるか分かりませんし、内容も見当がつきません が、皆様におかれましては良いお年をお迎えください。ではまた。 (2003.1.1)

インキャパシタンツ

“ノイズに「意味」をもたせてしまう事の無意味さ、さらに「無意味」という意味すら外そうとする 徹底した純粋なるノイズ。 インキャパシタンツは極私的であることによってそれを実現している。” :JOJO広重

“「非常階段」のメンバーでもあるT. 美川と、C.C.C.C.などに在籍していた小堺文雄の凸凹コンビの繰り広げるインキャパシタンツのノイズ・パフォーマンスは、一般的なノイズに対するイメージを打ち破る程に開放的だ。痙攣し、飛び跳ね、揺れ動く大小の肉体と完全に一体化して打ち出されるノイズ・サウンド。それは「ノイズとは何か」という議論を無意味化する程にストレートに聴くものに伝わってくる。”:地引雄一                                       

“美川師匠とコサカイフミオから成るジャパノイズを代表するユニット。そのパフォーマンスは、しばしば大小二つの肉弾の重爆撃に例えられる。それは今では「ノイズ格闘技」というジャンルを確立し、多くの格闘技ファンから熱い視線を送られている。また二人はノイズ界きっての論客としても知られ、今日もトレンチコートを素肌にまとい各種メデイアに露出を続けている。”:伊藤まく