japanoise.net

 

 

 

Discography

 

 

歌謡曲とジャパノイズの関連に関する一考察」

「余は如何にしてノイジシャンとなりしか1」

「余は如何にしてノイジシャンと−2」

「余は如何にしてノイジシャンと−3」

 

 

 

 

TOP

ジャパノイズTOPエッセイ
美川師匠インキャパシタンツ)の 「雑音談義」

ジャパノイズ格闘技王ンキャパシタンツ・美川俊治が論ずる『日本のノイズ』(=ジャパノイズ)! さぁ、君もこれを熟読してジャパノイズに想いをいたそう!          

「日本のノイズ」(前編)          美川俊治  

 

  美川俊治ライブ情報2/28(土)・高円寺『円盤』(ジャパノイズ.ネット企画ライブ)               

この文章は、「ノイズ・バイブル」なる書物に掲載されるべく大昔の1994年 に記されたものであるが、訳あって(だろうと思う、一度も当事者からまとも な説明を聞いたことはないのだが)、その「ノイズ・バイブル」が最早水子と 化して久しく、菩提を弔うためにハード・ディスクの不良クラスタの中から忽 然と復活を遂げたものである。同工異曲の企画もこれで三度目であり、二度あ ることは三度あると言うべきか、はたまた仏の顔も三度というべきかはともか く、三度目の柳下泥鰌を狙った阿漕なものであることは否定しがたく、いまど きこんなアナクロな文章が読むに値するかどうかはちょっと判断に窮するとこ ろではあるのだが、相棒の小堺君のご成婚を祝する意味もあって、敢えて当時 記されたまま掲出するものである。

「日本のノイズ」

 「日本のノイズ」ということで何を論ずることが期待されているのかはよく 解らないのだが、少なくとも、国粋主義的な「日本 vs. 外国」などという、 陳腐を通り越して今やプロレスのファンですらそんな幻想は抱いていないであ ろう馬鹿な図式ではあるまいと思う。確かに、海外のごく一部のメディアの論 調では、それがなんだかはっきりとはしないにも関わらず、「日本のノイズ」 と称せられるものが厳として存在し、大変皮相的な日本異質論と結びつけた貌 で語られていることが多い。少なくとも、ビジネスの世界で多々論じられるリ ビジョニストによる「日本異質論」に対しては、アートの世界の議論に嘴を差 し挟むほどの地位を与えられている訳でもないし、与えるべきでもないという のが筆者の持論であるが(与えて欲しくもないと彼らは言うかも知れないし、 所謂リビジョニスト等という輩がそのようなことに関心を持っているとも思え ない)、多くのノイズ・アーティスト達は、そのような論調が現前することと は無関係に、個としてはオリジナリティに重きを置いた創作を展開し、その結 果、全体としてみれば途方もない多様性を構築しているのであって、「日本の ノイズ」などという定義のはっきりしないものの中に、十把一絡げに囲い込ま れてしまうことに対して、大いに抵抗を感じるであろう。だが、多少ともカテ ゴライズすることが論を展開する上では必要であり、問題点は問題点として認 知した上で、そのカテゴライズに安住することなく話を進めることにしたい。 そうするためには、流石にもう少し軸が必要だから、最初の問いに戻ってみ る。「何を論ずるか」−これは自分で考えろということであろうから、ここで は「日本のノイズ」(と称されているものの一部)が、音楽として実に極端な 形態にまで暴走しているという筆者の認識に基づいてその理由を考えてみるこ とにしたい。

 さて、歴史を振り返ってみて、ノイズと称される音楽もしくは音響の一形態 が、日本に現れたのは果たして何時のことであったのかを特定することは、実 際問題としては可能ではあるまい。そもそも定義が明確でないことを別として も、今となっては事実の確認が出来ないというのも一つの理由であるし、ノイ ズがノイズとして自立することなく、本源的にノイズ的なものを内包する 「ロック」の一部をなす貌で「ロック」の中にあったという事象はそれこそ枚 挙に暇がないであろうことも、その作業を極めて困難なものとならしめる。ま た、いわゆる「現代音楽」と総称されるものの中には、ノイズの効用を十二分 に生かしたものが多見されることは改めて論及するまでもないことだろう。 従って、厳密な意味では、たとえて言えば考古学的な研究を行う場合のように は、その歴史を振り返ることが難しいものであることは間違いがないのだが、 しかし、ある時期を境に、その種の音響が、作品として世に問われ始めるよう になったのは、漠とした感があるものの、長期に亙って関わり続けてきた者が 共通して感じるところではあるまいか。その過程を振り返ってみることは、 「日本のノイズ」を考察する上での一助とはなりそうだ。

 それまでは、一部の専門家によってしか作り出され得ないものであった、レ コード或いはカセットといった形態での「作品」が、悪い言い方をすれば、猫 とか杓子とかまでもが作り始め、あまつさえそれが(価格の差はあるにせよ) 商品価値を有するものとして、店頭で売買されるようになった背景には幾つか のポイントがあると思われる。一つは、アーティスト・サイドに関わることな のだが、エレクトロニクス技術の飛躍的発展等によって楽器、録音機材等が広 範にかつ廉価で入手・利用可能となったということである。かつて、富田勲の 初めてのシンセサイザー購入は、今で言えば家一軒買うようなものであったと いう。隔世の感があるわけだが、こうした創造のためのツールへのアクセスの 容易さが、潜在的にあったアーティストたらんとする需要を掘り起こし、その 創作意欲を喚起し続けてきているのは紛れもない事実である。それから、70 年代のパンク・ロックから英国でのニュー・ウェイヴという一連の音楽ムーヴ メントの中において、従来の音楽業界の図式、即ち、才能ありと見込まれた音 楽家が、産業としての位置付けをはっきりと有する業界大手の手によって世に 送り出されるといったプロセスが絶対ではないということを図らずも実証した ことが挙げられる。無論、それは、ヴァージンの成功によって既に明らかで あったのではないかという言い方も出来よう。実際、ニュー・ウェイヴ、オー ルターナティヴといった流れの中で、ラフ・トレードを代表とするようなサク セス・ストーリーには、ヴァージンとの共通性を多分に見い出すことが出来 る。ただ、それらが、ヴァージンの登場当時よりも、遥かに「マイナー」な、 ザッパの言を借りて言えば、「ノー・コマーシャル・ポテンシャル」なもの、 更には、「ノー・ミュージカル・ポテンシャル」なものをも、とにかく送り手 側の感性に則したものは全てと言っても良いほど、おおらかな基準で「作品」 化されていった点が、特にノイズを語る上では重要である。そして、その基準 にすら当てはまらないようなもの、或いはそのようなおおらかな基準にさえ従 うことを潔しとしなかったものには、多少の資金さえあれば、完全な自主制作 という形態をとることも可能となった。自主制作自体は従来からあった訳だ が、それが記念品的な意味あいを越えて、商品として流通するようになったこ と、そうした、従来の既成概念では考えられなかったようなシステムが、日本 においてそうした動きをいち早く察知する立場にある輸入盤業者、メディア、 そして音楽ファン達に認知されていく過程において、同種のシステムが構築さ れていったのである。聞く側を需要サイドと位置付けると、供給サイドのロ ジックでスタートしたこの変化が、一種思いがけない程に需要サイドから歓待 されたことで、供給サイドの裾野が途方もなく広がったことを考えると、その 意味は大きい。私事で恐縮だが、筆者が今行っているような活動にしても、そ のような時代背景がなければどうなっていたか自信はない。真に自覚的な少数 者のみが、そうした流れとは無関係に存在し、時を得て流れを創り出していく のであろうが、流れがあれば凡庸な者でも乗ることは可能なのだ。

 ここで論ずべき「日本のノイズ」とは、そのような背景を持ってたち現れて きた筈のものである。ノイズが生起する環境、フレームワーク、システム、イ ンフラストラクチャー、といったものが、基本的には特に欧州で構築されたも のを前提として作り上げられていった点は、日本の製造業が明治維新以後、或 いは第二次世界大戦以後、辿ってきた足跡と構造的には同じである。日本のノ イズはそうした環境下で発芽することになったが故に、初期においては海外の ノイズの影響を色濃く受けることになる。しかし、その影響に曝される道程に おいて、明らかに歪みが生じている。前述した通り、この動きの中では、発せ られたノイズが「作品」として需要者のところへ届けられてくるのであるが、 その作品は極めて即物的で味もそっけもないものであることが多く、付随情報 が不足しており、特に英国のそうした音楽に顕著であったメディア戦略である とか、情報戦争であるとかいった、本来知られるべき主張が知られないままに 音だけが氾濫していった(「本来知られるべき主張」等、何もなかったという 方が正鵠を射ているかも知れない)。本来の主張の中では、ノイズはそれを達 成するための一手段としての位置付けになっていることも多く、その点では本 末転倒した捉え方がなされていった訳だ。こうした形で、海外の先達の作品を 受け取っていた需要者の中に、初期のノイズ発信者となるものの大宗が属して いたという事実は、日本のノイズの特殊性を考える参考になる。無論、若干の タイムラグを伴って、そうした主張は日本にも届いたのであるが、一部メディ アを介して伝播されることが多かったその種の情報は、一部の先駆的な努力を 除いては、全体像を理解しないままに、極めて断片的な貌で、しかも扇情的な 部分のみクローズアップ若しくは紹介者の無知無能の故に歪曲された貌で伝え られることが殆どであった。情報の量も絶対的に不足していた。その直接的な 影響を受けてスタートした日本のノイズは、ノイズの、音としてのテイストを 取り入れながら、全体としての姿は、極めて奇形的なもの(ここで言っている のは、いわゆる「ノイズ」が普通の「音楽」に対して奇形的な位置にあるとい う意味よりは、海外の、例えば英国の「ノイズ」に見られるようなトータルな ものとしての「ノイズ」に対して「日本のノイズ」が隔絶した位置を占めてい るということ)となっていったということが言えよう。勿論、現時点で活動す るノイズ・アーティストが、皆、こうした過程を辿ったわけではないし、その 当時から活動を継続している者がそんなに居るわけでもない。音風景、思想、 形態、そういった点に共通点を見いだすことが困難である程、種々雑多に多様 化が進んでいることも事実である。端緒として、そういうことがあったという だけの話だ。にもかかわらず、日本のノイズの奇形性は、その貌を多様に変化 させながらも、連綿と存在し続けてきている。少なくともノイズの「保守本 流」(言葉として、自家撞着を起こしているが)においてはそうだ。そして、 様々な傍流ともいうべき流れの中にも、十分に見受けられる現象である。時間 の経過と共に、情報量そのものは増大し、世界的に見ても極端な一極集中が示 現している東京という土地においては、今や、過剰なまでの情報が無秩序に流 入してきている。その中で多様化の道をとるよりも、寧ろ一つの方向性を可能 な限り突き詰めること、即ち「暴走」することで、このような情報の洪水に曝 されている身のバランスをとっている、そのようにも考えられる。取捨選択の 余地が多過ぎるということは、何も選ぶことが出来ないというのと実際には同 義なのだ。情報に関して言えば、言語障壁という点も看過出来ない。当然のこ とながら、情報の大半は英語を筆頭とする母国語で書かれ伝えられる。そのた め、受け手が端から受容を拒絶することもあるだろうし、受け手の側に誤解が 生じる可能性もあるし、また、受け手が書き手として情報発信をする立場を有 しているケースであれば、そのような誤解は波状的に広がっていく。そして、 正誤入り乱れ、玉石混淆の状態の情報にスパイラル的に曝され続けることに よって、比喩的な表現をするならば、遺伝子情報に回復不能な打撃を与え続け ることで、本来持っている奇形性をますます拡大し続けている、そんな状況と なっているのではあるまいか。いわば、「呪われた状況」が示現しているので はないか。

(後編に続く)(この一文は上記のように1994年に執筆されていますが、その後G−Modern誌に掲載されました。今回筆者より、当サイトの読者にも一読に値するのではないかということで再掲載することになりました。読者のご熟読ならびに感想をお待ちしております) (2004.1.1UP)

インキャパシタンツ

“ノイズに「意味」をもたせてしまう事の無意味さ、さらに「無意味」という意味すら外そうとする 徹底した純粋なるノイズ。 インキャパシタンツは極私的であることによってそれを実現している。” :JOJO広重

“「非常階段」のメンバーでもあるT. 美川と、C.C.C.C.などに在籍していた小堺文雄の凸凹コンビの繰り広げるインキャパシタンツのノイズ・パフォーマンスは、一般的なノイズに対するイメージを打ち破る程に開放的だ。痙攣し、飛び跳ね、揺れ動く大小の肉体と完全に一体化して打ち出されるノイズ・サウンド。それは「ノイズとは何か」という議論を無意味化する程にストレートに聴くものに伝わってくる。”:地引雄一                                       

“美川師匠とコサカイフミオから成るジャパノイズを代表するユニット。そのパフォーマンスは、しばしば大小二つの肉弾の重爆撃に例えられる。それは今では「ノイズ格闘技」というジャンルを確立し、多くの格闘技ファンから熱い視線をおくられている。また二人はノイズ界きっての論客としても知られ、今日もトレンチコートを素肌にまとい各種メデイアに露出を続けている。”:伊藤まく