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利光哲也インタヴュー(前編)
Q:まずはじめに、プロフィールと生い立ちからお願いできるかな。
A: 1977年9月14日山口県生まれ。山口はとにかく田舎 だったよ。特に僕が住んでいた町は何も無かった。
レコード屋だって少なかった。いつも隣町の小さなレコード屋に自転車でえっちら おっちら走りながらCDを買いに行ってた。たいていのCDは殆ど取り寄せで買っていた
ようなものだった。デスメタル系のCDなんかそうやって買ってた覚えがある。楽をやっている人間自体も少なかった。やっててもXとかLUNA SEAとかのコピーを
やっているような連中ばかりだったし。 まあ僕もギターは弾いていたけど、そう言うバンドの曲を演奏できるほどの演奏力が なかったからお誘いを受けなかったってのもあるけど(笑)。実際僕も高校当時はそ
の手のバンドを聞いていたしね。
自分の音楽意識がノイズ方向に向かうようになったのは、高校の終わりくらいから 写真学校に入った直後くらいだね。
この頃が一番音楽を聞いてた。デスメタルやハードコア周辺からKEN ISHIIやAPHEX TWINのようなテクノ、GROOVERIDERやLTJ
BUKEMと言ったドラムンベース関係等々。 で、要はロックのダイナミズムやスピード感の追求、テクノやドラムンベース等が持 ち合わせていた電子音の快感等を追求していくうちに、所謂ノイズ関係を聞き始め
たって言う感じかな。
Q:写真を始めたきっかけみたいな物ってあるのかな。 
A:高校卒業が近くなり、僕も進路を決めなくちゃならない時期が来てどうしよう かと思っていたとき、当時写真業界って言うか、アートシーンの動きみたいなもの
で、「フィメールフォトグラファーブーム」みたいなのが起きてて、とある深夜のTV でそう言ったブームで人気になってた写真家を特集している番組を見た事があるん
だ。長島有里枝とかね。 それらの写真家が撮ってた写真自体にはあまり興味が無かったんだけど、一種のムー ブメントとしては割りと面白いかなと思って、「あ、写真なら俺にもできるかも」っ
て思って(笑)、福岡の写真学校に進んだ。 始めた当初は何も分からなかったよ。なにしろ僕カメラのレンズが取り外せることす ら知らなかったもん(笑)。露出やシャッタースピードなんて全然。まあ、現在も殆
ど変わらないけど(笑)。
学校は一応短大だったけど、そこでの生活は結構ヤだったんだ。皆からのけ者扱いさ れるし。 写真も技術的な事は殆ど教えてくれなかったね。
ただ表現者として何かを作る楽しさみたいなものは結構そこで学んだかも。 撮影自体は割りと生徒達に好き勝手にやらせていたような学校だったからね。
卒業制作はなぜかビデオ作品だった(笑)。色んな所から取ってきた画像をコラー ジュしたようなグチャグチャな作品だったよ。今見ると恥ずかしくて仕方が無いな
(笑)。
Q:東京でノイズミュージシャンのライブ写真を撮り始めたのはなぜ?
A:まず上京した理由だけど、東京の写真スタジオのアシスタントとして就職が決 まったので上京した。ファッション雑誌系の撮影が多いスタジオだったね。
実はそれほど東京に憧れがあって上京したわけじゃなかったんだ。偶然が重なって職 場が決まったので一応上京したっていうだけ。東京に行けばとりあえず写真家になれ
るかなーなんて軽い気持ちだった。写真家がどん な物なのかも良く知らなかったくせ
に(笑)。 「東京で一旗上げるぜ!」みたいな大義名分も全然なかった。
で、その入ったスタジオでは全然仕事ができなくて。色んな物を壊したり無くしたり もしたし。要領が悪いんだね。
で、結局そこはやめる事になって、しばらくして今度はプラモとかフィギアとかを扱 う雑誌の写真を撮ってる別のスタジオに入社したんだけど、そこでもドジばっか踏ん
でた。 で、そこもやめる事になった時、こうなったらもうバイトをしながら自分の好きな音
楽の写真を撮りまくってやろうと決めて、どうせ撮るなら興味を持ってたノイズ ミュージックシーンの写真を中心に撮ってみようと思い、20000VとかSTUDIO80とかに
通ってはライブ写真を撮るようになった。 まあ実際は前のスタジオに勤めている時からすでに少しずつ撮りはじめてはいたんだ けど。
そんな感じでゲリラ的に撮影を続けて、色んな人達に写真を見てもらったりしている うちに、今度は徐々に僕の写真に興味を持ってくれる人達が出てきてね。フライヤー
とかCDR作品のジャケに使って貰えたりするようになった。 で、撮影を始めて2年後くらいに、あの人と出会う事になるんだ。 (以後後篇へ)
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